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2005年12月15日
一本の電話が入った。
『今津さん、ご無沙汰してます、その後お元気でしたか?』
『おおー!久しぶりやな、君こそ元気にしてたか?』
『それでクリスマス・ライブですが23日にしますか?一応24日でも大丈夫にしてますが』
『・・・・・・・・・・・・・・』
一瞬にして頭の中が真っ白になった。
「背筋に冷たい汗が流れるのを感じた」という言葉があるが、まさか自分がそんな経験をするなんて夢にも思っていなかった。
『今津さん、どうしました?忙しいのでしたら、また掛け直しますが』
『あ、ああ、ゴメン、そうしましょうか、すんません』
『なんか変ですよ、大丈夫ですか?』
電話の主は秋本くんだった。
以前、といっても6月に慰問演奏に行ったデイケアで働いている、福島の秋本くんといえば思い出してもらえるだろうか。
本来ならばゲラゲラ笑いながら弾む会話を楽しめるはずが、混乱した気持ちをどうすることも出来ない。
(やらかしてしまった)
そう思って間違いない。
彼には悪かったが、早々に電話を切った。
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落ち着いて考え始めたのだが、いくら記憶をたどってみてもクリスマス時期と「デイケア慰問演奏」がつながらない。
(クリスマスにライブ?)
(いつ、そんなことを決めたのか?)
(いや、そんな約束をしや覚えはない)
まさに堂々巡りの状態が続いた。
考えるうちに少しばかり妙な点があることに気付き始めた。
私は、デイケア演奏に関しては驚くほど慎重に話を進めてきた。
窓口の責任者と充分な打ち合わせを繰り返し、日程を決める。
そして、最後に「今津雅仁」の名前をマスコミは勿論のこと、絶対に外部に情報を出さないことを条件に簡単な文書も作成していた。
そんな手間隙をかけて来たのに、今回にに限って約束にも予定にも入ってないなどあり得ない。
すべてを明らかにするべく、数時間後に秋本くんに電話を入れた。
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先ず、電話口に出た秋本くんに覚えのない事実を伝えた。
少しばかり驚いてはいたが、6月の慰問演奏の一日に何があったのかを二人で思い出そうという事になった。
ゆっくりと、最初から、誰と何を話したか、貰った名刺と照らし合わせ、こと細かく、時系列ごとに話しては書き留め、思い出しては書き留めていった。
5時間が過ぎた頃
ようやくお互いの意見が一致してきた。
二人の間で約束事として何かしたことなど無かったこと、そして二人に全く関係のないところで話が進んでいたこと、またそのことに職員全員が気づいてなかったことなどを確認した。
絡まった糸がほどけ出した時だった。
『分かった!多分、あの時や!』
『あの時って?』
『ほら、俺が施設の駐車場から出る時にクリスマスがどうのこうのって、あれや!絶対にあれしかない!』
『でも、今津さん、あんなの社交辞令みたいなもんだったでしょ?』
『いや、向こうはそうは思てなかった、キッチリ引っ掛かたのだけは覚えてる、あれが事の発端や、完全に折れのミスやったんや、今やから言うけど、あの後に”やられた”っちゅーたのを覚えてるんや』
『でも…』
『でももへったくれもない、こうなったら腹を決めるしかないやろ』
『いやでも、これは中止できますよね、今津さんにも僕にも責任はないワケだし』
『責任はある、勘違いさせたまま放ったらかしたんやから』
『そんなぁー、なんかメチャクチャじゃないですか!』
『うん!メチャクチャや!でもそれはしゃーないねん!』
『いえ、僕がちゃんと話をしますので、納得してもらうまで話します』
『100年かかるぞ』
『大丈夫ですよ、こっちが悪いことした訳でもないんだし』
『誰が、悪い、悪ないの話をした?それやったらお前がみんなに僕がぜんぶ悪う御座いましたっちゅーて謝りゃエエがな!』
『え、なんで僕が悪いんですか?』
『ド阿呆!せやから言うてるやろ、誰も悪ないて、わからん奴っちゃなぁー』
『じゃぁ、どうするんですか?なんだか今津さんの言うことも分からなくなって来てるし』
『お前なぁーちょっと落ち着けよ、こんなアホみたいな話に結論なんかあるかい!』
『・・・・・・・・・・・・』
『それより先に言うとくで、お前、さっきから言葉づかい荒なってるの分かってるか?』
『え?』
『え?やあらへんがな、なんやったら電話越しで朝まで泣かしたろか!』
それからは慰問演奏もクリスマスもぜーんぶ吹っ飛んでしまって。
延々と続く、彼の丁寧すぎる謝罪のオンパレードが可笑しくて、笑いを堪えるのに必死でしたわ。
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そんなことより、おばあちゃん達との約束をどうするか。
参った…
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つづく