Jazz日記 in 本になるはずだった原稿/VOL.3.【横浜Jazz Promenadeを創り上げた男】

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【横浜JAZZ Promenadeを創り上げた男】
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俺のような神戸生まれの神戸育ちには「新しもの好き」が多くいる。

これまで見たことも聞いたこともないもの。

そういうものに触れると心躍り、心底ワクワクする。

過去に人がやったことの無い画期的な発想を実現することで人間は生きる喜びを感じるし、子どもたちに明るい未来を予感させることが出来る。

これを「文化」という。

澱んだ空気を打ち破るには世間様からバカ扱いされようが自分の考えを貫き通す強い心が要る。

これを「勇気」という。

一般の「常識人」には持ち得ない考え方や生き様には魅力を感じるし、憧れもする。

だが、その反面そういった一味ちがう独特の感性というものには危険な匂いが付きまとう。

この危険な匂いに魅力を感じるのが女性や子どもが多いのも理解できる。

明るい未来に憧れる女性や子どもの存在こそが「文化」を発展させてきた。

何故なら、女性や子どもが喜ぶ姿はただ見ているだけでも美しく思えるからである。

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さて!

俺が最も尊敬している心優しい男の話をしよう。

正しく「文化」を創り上げ、自分が正しいと思った考えを貫き通す「勇気」の持ち主だ。

「新しもの好き」の俺などは憧れしかない。

ただ...この話には悲しむべき事実も含まれている。

画期的で誰しもが歓びを感じる「文化」を「商売の種」としてしか感じない連中の存在が登場するからである。

歴史が物語っている通り、「文化」を台無しにするのが金儲け主義の悪党という流れはいつの世も同じだ。

ここからは直接、本人の語った言葉で書き記す。


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実はね最初に言っておくけど 俺はもう、日本での「ジャズ祭」に興味がないんだよ。  


俺はね『横浜JAZZ Promenade』に世界がやったことのない企画を持ち込んだんだよ。


それはネーミングにも入れ込んだ通り

「横浜→日本語/アジア」

「JAZZ→英語」

「Promnade→フランス語」


「横浜→日本語/アジア」

「JAZZ→英語」

「Promnade→フランス語/ヨーロッパ」


要するに本当の意味での国際的なジャズ祭(音楽祭)を企画したんだよ。  


その内容は、デキシー、ニューオーリンズ、スイング、バップ、クール、フリー、インプロまで現在、演奏されているジャズ音楽を全て紹介する企画なんだよ。


それには日本はもとより、韓国からも、ヨーロッパからもアメリカからも、世界のジャズが一堂に集まったら俺たちはもちろんだけどミュージシャンだって楽しいだろ?  


そして、横浜でやる以上、横浜や日本のジャズ界に貢献してくれたと思えるミュージシャンたちは優先して出演してもらい、敬意を払ったんだ。

秋吉敏子、ジョージ川口、世良譲、松本英彦、鈴木章治、園田憲一さんたちだ。

彼らがいてこそ今の横浜のジャズがあったんだ。

そんなことをみんなにも知らせようと思ってもいたんだ。  


もう一つは『Mt.FUJIジャズ祭』のやり方が嫌いだった。

客にバーベキュウさせながらあれだけのミュージシャンに演奏させてるんだ。 BBQピクニックのBGMじゃあないだろ彼らは!!

もっともそのNHKから後年「プロムナードのプロデューサー」として 俺が放送文化賞(1998年)を取ることになるから皮肉なことだ。


今、思えばこの賞を貰ってイベントが軌道に乗り出した辺りから某店の社長さんたちの強い圧力が始まったのかもしれない。

『俺が事務局長だ、ばかやろう、プロデューサーがなんだってんだ』

『ジャズプロは俺が作ったんだ』と声高に言いだしたのもこの頃の気がする。


俺はそんな声など気にせずに、ニューヨークジャズ祭のプロデューサー・マークと組んでNYジャズ祭の3会場を借り受け「横浜ジャズプロinニューヨーク」を、そして、パリやローマ、などにイベントを打って行った。  


世界のプロデューサーたちの耳は確かだし、発想もユニークだし、とにかく未来を夢に見て企画をしてるところがスゴく協調できるところなんだよ、俺にとってはね。

海外から招聘するミュージシャンは全員彼らの国から旅費とギャラは出して貰った。  


初めの頃は大使館との交渉は大変だった。

しかし、すぐに、スイスが賛同し、オランダ、ドイツ、デンマーク、フランス、イタリア、カナダなどと続いた。
 
これで、外人は無料で出演する手はずがついたわけだ。




さて、次は秋吉さんだ。


秋吉さんを呼ぶに当たっては少しだけ事情があった。

このジャズプロの核になるミュージシャンが欲しかったのだ。

それは、俺にとって貞夫さんでも日野さんでもなかった。

もう、一捻(ひね)りしたかったのだ...


色々と考えた末に出てきた名前。

それが秋吉敏子さんだった。  

どこに居るのかも知らない、ほとんど日本では忘れ去られていたからだ。


すると「俺の兄が知ってる」というミュージシャンがいた。

立花泰彦だ。

兄が共同通信の文化部デスクでNY時代から秋吉さんと親しいという。  

紹介を受けて俺はエアジンの黒電話からニューヨークの番号を回したんだ。


『Hello.I speak TOSHIKO」』

直接電話に出たのが秋吉さんだった。

そりゃ興奮したさ!

伝説のピアニストだからねえ。


『実は今、横浜を舞台に大掛かりなジャズ祭を企画してます』

『秋吉さんたちが昔、ジャズは素敵よ~~~~とか言い残して 海外へいっちまったもんだから、 今の若い世代がジャズやりたくで右往左往してます。』


『それで、横浜市と手を組んでジャズ祭を企画してます。2年後です。』

『どうでしょうか、責任取ってくれますか?』


『あははは、うめもとさん。とっても嬉しいお誘いよ』


『ああ、良かった。で、お礼なんですが・・・』


俺は上限70万のギャラを想定していた。

それ以上ならこの計画はなくなる。


『うめもとさん、私、意外と高いのよ』

『でも、今回は無料で出演するわ。誘ってくれて本当にありがとう』


おおお、やった~~~!!

いいのか本当に???


『ただし、飛行機はファーストをホテルは一流を用意してね!』

日航のファーストは100万円を超える。

ギャラより高い交通費だ。(笑)  


結局、全日空と交渉しファーストを無料で出して貰った。

今思えばデタラメな交渉だった気がする。

気合勝ちだったのか?


そして...


次はクラシックの音楽会場が押さえられるのか?だった。


県民ホール、音楽堂、関内ホール、横浜イギリス館などなどだ・・・



           つづ



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# by funky-ts-kr | 2018-12-28 21:25 | 切羽詰まってバンドマン! | Trackback | Comments(0)