Jazz 日記 in 瀬川昌久先生

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自主制作盤を制作していた頃から応援して戴き、受けた愛情と恩義は膨大としか...何も返せず、いつも戴くばかりで、ただただ申し訳なく。




二十代後半。




先生から、来日ミュージシャンのコンサートに誘って戴くのが余りにも多くなった時期に...『あのぅ、失礼ですが、瀬川先生とはどういったご関係で?え、いや、いつも一緒にお見かけしますので、アッハハハー』或る業界関係者の方から。




まだ、その頃は朝〜夕方までビル掃除 ⇒ 18時以降バンドマンの身分だったもんで、『僕ですか?現在、瀬川先生の所で書生としてJazzの勉強をさせて頂く毎日を送っております!』とか、大嘘言ってたら...先生に軽く怒られた。




先生は退屈なコンサートだと始まって10分ぐらいで熟睡される。




でも、幕間にロビーで昂奮している業界関係者さん達にはちゃんと話を合わして差し上げて居られました。




ある時のことでした。



米国音源制作系高給音楽家が結成した五名楽団のコンサートに連れて行って戴いた時は、鍵盤奏者の流暢な日本語に感心された後、演奏が始まると同時に爆睡されました。



(今日は早いな・・・それに、鼾まで・・・)と思いながら、幕間を待つ間、舞台を眺めていたのが懐かしいです。




あの当時、不思議に思ったのが・・・




(業界の人達って、Jazzの捉え方がミュージシャンと対極にある感じだなぁー)




それを先生に話すと...『それは仕方が無い事なのです、そして、例え事実であっても思うだけにしなさい。チャンスの間口は広い方が良いですからね!』




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ある時期、凄く嫌な事柄が信じられない位押し寄せ、精神的に参って居りまして。



逃げる為に酒量の増加と厭世的な言動に加え、乱暴で粗略な物言いが目立った頃に一本の電話。




『もしもし、瀬川です、今津さん、どうされましたか?』


それからの1時間半、コンコンと説教をして戴いた事が有りました。



その時に覚えた言葉。


《虚心坦懐》


今でも、自問自答します。


座右の銘には出来ません...おこがまし過ぎて。

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「銀座SWING」にもよく誘って戴きました。



2管編成、3管編成のバンドを選んでお誘いの電話を戴いて。




『今は、沢山の生演奏やレコードを聴いて作曲の為に役立てて下さい!
そこで得るものが有ればお誘いした甲斐が生まれるというものです』




先生は、どんなに顔馴染みの名門ライブハウスであっても「顔パス」など決してされず、店側の従業員がいくら支払いを断っても『それはいけません!Jazz界全体の為に成りませんから!普通のお客として扱って下さい!』そこの部分は絶対に譲ることは無かったですね。




それまで、僕が見てきたJazz評論家は「顔パス」するのが当たり前、出演中ミュージシャンには、それぞれ「ちゃん付け」で親しい挨拶。



若い僕は、(やっぱり、一流Jazz評論家っちゅーのは違うなぁー)

(これが東京っちゅーヤツやんなぁー)とか...




でも、それが日本Jazz界の風習なのであれば、例え自身の信条にそぐわない内容であっても我慢すべきと諦めて居りました。



「銀座SWING」でのレジ場面で『それは絶対にいけません!』そして、僕に向かって『今津さん、私がお誘いしたのですから貴方は外で待っていて下さい!どうでしたか?お料理美味しかったですか?』

どこまでも僕の気持ちを大切にして下さるし。




『はい!とっても美味しかったです!』



その言葉を満面の笑顔で『そう、それは良かった!』



普段なら聴くことの出来ないベテラン、また混成ユニットなどのライブなど、本当に沢山のサウンドに触れることが出来たことは、その後の曲作りにどれだけ役立った事か。





『貴方は今、お金の心配などしている時期では無いと思いますねぇ。私はね、貴方にもっと曲を書く時間がね、まぁ色々と大変なのは解りますが、もし資料が必要ならば何でも言って下さい。集めれば良いのですから!』





白人作曲家、黒人ブルース系、この2つしか頭になかった当時の僕は、先生の自宅から「アトランティック・リズム・アンド・ブルース24枚組」のレコードを拝借したのを切っ掛けに幻の名盤といわれるレコードを・・・遠慮無く、本当に遠慮無く借りまくっていた。





そのすべてが僕の心の財産となっています。



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僕が20代後半の頃、先生は「日本のハード・バップ系コンサート」を手打ちで(自らが主催者となり)コンサートを開催されて居られました。




然し乍ら、集客が思うように捗らず惨憺たる結果に終わることが多く。



コンサート終了後、八代一夫さんや僕達の出演しているライブハウスに立ち寄って、残念な報告をされていました。



でも、話の内容は『日本ジャズ・シーンがコツコツ真面目に研鑽を積む少数のバップ系に無関心で、相も変わらず奇を衒ったチャカポコ音楽で酔っ払っては騒ぐのをJazzの本流に無理やりしている状況が続いている、そういうのはフュージョン・ブームが何も残さなかった流行歌だったことを忘れてしまっているのですかねぇー』


余程、悔しい思いをされたのでしょう、すべての音楽を平等に・・・いや、好き嫌いを述べたりするとか・・・





多分、フュージョン系のコンサートの大人気に圧倒されている先生好みのJazzの不人気に憤りを感じてらっしゃったのだと思います。





然し乍ら、先生は、ご自身の主催者としての猛省をされて、決して愚痴っぽい事は仰りませんでした。




勿論、赤字の全額は先生が負担されて居られました。




そんなJazz評論家など日本に居られるでしょうか?




いいえ、瀬川昌久先生ただ一人だけです!






僕はこの世界に入ってから常日頃『ジャズ・ミュージシャンは職業とは違う!端的に言うとジャズ・ミュージシャンという生き様だと解釈しています』






もし、お金儲けがしたかったら笛吹きなど以ての外、健全なるサラリーマンとして働くべきだと思います。



瀬川昌久先生は、銀行に勤めておられましたが、「ジャズ・ミュージシャンよりジャズ・ミュージシャンっぽい方、つまり生き様がJazzなんです」





博多の故佐藤羊一氏もそうでしたが、「瀬川昌久先生も、楽器を演奏することは出来ないのですが、生き様そのものがJazzっていう貴重な方は存在するのです。」






そんな素晴らしい方と出会えただけでも、とても有難く、本当に幸せなことだと思っています。








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日常生活そのものがアドリブです!



《切羽詰まってバンドマン!》






ペーソスに満ちた物語をユニークなタッチで描いて行った
【実録小説/哀愁編】
が無事終了。





現在は「日本ジャズ界の知られざるタブーに挑む!」という、
未だかつて誰も書けなかった「新分野」に挑戦中!






※愛読者コメントより・・・


『心の底から笑える私の人生にとって何よりも貴重な日。


それは・・・


《切羽詰まってバンドマン!》の
発刊日です!!』 





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by funky-ts-kr | 2016-04-04 11:10 | 素晴らしき仲間たち | Trackback | Comments(0)
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